ページの概要:山崎川の魅力をご紹介します。
みなみく 南区 |
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国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
団体コード | 23112-6 |
面積 | 18.46km² |
総人口 |
137,973人 (推計人口、2013年12月1日) |
人口密度 | 7,470人/km² |
隣接自治体 隣接行政区 |
名古屋市 (熱田区、天白区、瑞穂区、緑区、港区) 東海市 |
区の木 | クスノキ |
区の花 | ヒマワリ |
南区役所 | |
所在地 |
〒457-8508 愛知県名古屋市南区前浜通3丁目10番地 北緯35度5分42.3秒東経136度55分52.2秒 ![]() |
外部リンク | 南区 |
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その名のとおり市の南部に位置する。旧東海道(現在では愛知県道222号緑瑞穂線)沿いには、笠寺観音(笠覆寺)や笠寺一里塚などの史跡が残る。
「南区」の区名を持つ現存の行政区のうちでは最も古い(現存しない区では大阪市南区(現・中央区)が最古)。
国道1号を境に、東側は笠寺台地とよばれる丘陵地。西側は山崎川および天白川に沿った平坦な地形で、海抜ゼロメートル地帯も少なくない。
古代、区の東部の笠寺台地は松炬島と呼ばれる島で、中西部および天白川沿岸はあゆち潟とよばれる干潟であった。尾張氏が拠点とした場所のひとつといわれる。中世、製塩が盛んになる。鎌倉古道が通る。
江戸時代、区域のほぼすべてが尾張藩の領地であり、南野村(現・星崎)の一部が美濃今尾藩(尾張徳川家の附家老)の領地であった。中西部で新田事業が盛んに行われる。東海道が通る。
1994年3月30日に地下鉄桜通線が野並駅まで開通し、南区内に初めて地下鉄の駅が設置された(桜本町駅、鶴里駅)。
古代から海産業が中心だった。特に中世からは前浜塩と呼ばれる製塩業が盛んに行われ、塩付街道を経て美濃や信濃などの内陸部へ運ばれていた。江戸時代に新田開拓が進むにつれ製塩業は衰退。明治ごろには海苔や魚の養殖が盛んになり、愛知海苔(あゆち海苔)の中心生産地となる。愛知海苔は昭和の一時期には有明海を超える産出量を誇っていた。しかし1959年の伊勢湾台風により地元産業は壊滅的な打撃を受け、海産業も衰退。それに代わって各種工場が進出し、工場地帯を形勢することになる。
伊勢湾台風以降は中西部を中心に、鉄鋼・金属・機械・化学などの工場地帯として発展している。概して中小企業が多く町工場と住宅地、商業地が混在した典型的な大都市圏の下町地区である。長く三菱関連の工場によって区の経済は支えられているような状態であったが、2000年三菱自動車工業大江工場が閉鎖。周囲の下請け・孫請けの工場は少なからず影響を受けた。以降南区の工業は比較的低調で、人口も減少傾向が続いている。2005年に行われた国勢調査では前回(2000年)と比較して2.7%減少(約4,000人減少)となり、依然景況感は厳しい状態にあると言える。
※笠寺駅からは名古屋臨海鉄道東港線も通っている。また、東海道本線に並行して東海道新幹線が通っている。区の明確な中心駅はなく、JR笠寺駅、名鉄本笠寺駅、名鉄大江駅、地下鉄桜本町駅などに利用がほぼ分散化している。この他、区域から徒歩圏内の駅として地下鉄新瑞橋駅、妙音通駅がある。
<南北の道路>
<東西の道路>
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南区の北西部に位置し、明治新田・図書(ずしょ)新田・紀左衛門新田・長三郎新田・氷室新田等の干拓地からなり、学区名は「明治新田」にちなんで付けられました。昭和11年に豊田学区から独立。昭和の初めには、内田橋付近は「名古屋」の南の玄関口といわれ、大いに発展しました。戦災で消失、戦後再びかつての賑わいを取り戻し、昭和39年から豊田都市改造事業が行われ、近代的な町に生まれ変わりました。
南区の北端にあって瑞穂区と境を接しています。昔は遠浅の海でしたが、江戸時代に尾張藩から資金の援助を受け、伝馬役人が協力して1673年に開墾した伝馬新田が中心となっており、学区名の由来となっています。昭和37年9月明治学区から独立しました。
明治6年に道徳新田北堤の民家(中尾卓度宅)で開知学校として開校したのが豊田小学校の前身で、南区で最も古い学区の1つです。この辺りは、新田農業集落として発展し、米、麦、菜種のほかイチジクの産地として有名でした。大正10年学区内に紡績工場ができてから急速に町として発展しました。
学区の大部分は江戸時代に鷲尾善吉により干拓された道徳前新田からなっています。昭和15年に豊田学区から独立し、学区名は新田名から名付けられました。戦前は南区でも指折りの繁華街であったといわれ、マキノ映画製作所があり、人工の観音山に道徳観音が祀られ、伊勢湾が展望できました。戦争や伊勢湾台風で大きな被害を受けましたが、早く復興し、南部臨海工業地帯へ通勤する人で、一時は8000世帯と道徳音頭に唄われました。
北を流れる山崎川をはさんで瑞穂区と接するこの学区は、大半が高台で、太古は松巨島(まつこじま)と呼ばれた島であったといわれています。熱田とは船で往き来したと伝えられ、海辺で呼び交わす人のさまが古歌に読まれ、学区の由来となっています。旧東海道沿いに発展した町には、桃山時代の様式を今に残す富部神社、万葉の古歌にも詠われた年魚市潟(あゆちがた)の碑など社寺、史跡が数多くあります。
昭和28年に呼続学区から独立、学区名の由来となった大磯通のほか、塩屋町、千竃通、荒浜町などかつて海岸沿いで塩田が盛んだったことを示す町名が残っています。学区内には文化活動の拠点となる南文化小劇場と南図書館があり、南図書館には「伊勢湾台風資料室」があります。
当学区一帯は、その昔「作倉」とも「作久良」とも称された古い土地です。大部分は笠寺台地と呼ばれる高台で、東側の天白川沿いが低地となっています。昭和14年に呼続学区から独立しましたが、年とともに住宅地として発展し、昭和33年には菊住学区が、昭和47年には春日野学区が分離しました。鯛取通は桜並木が美しいところとして知られています。
関連リンク:桜学区ホームページ(外部リンク)
昭和33年に桜学区から独立しました。菊住の「菊」は南の桜学区に対する秋の花、または山崎川沿いにあった酒造会社の頭文字であり、「住」は地元にあった電気工業所の頭文字を取ったといわれています。名古屋環状線を介して瑞穂区と接する新瑞橋付近は大規模小売店舗もあり、賑わいをみせています。
昭和47年に桜学区から独立。約一万年前にすでに人が住み、狩猟生活をしていたといわれる土地柄で、歴史も古く多く遺跡が残されています。見晴台遺跡では、毎年夏に中学生以上の市民の方が参加して発掘調査が行われています。「桜の棒の手」は、昭和31年に県の無形民俗文化財に指定されました。
太古は笠寺西門から南へ海を突き出た半島であったといわれ、海の部分には次第に新田が開発され、製塩も盛んなところでした。旧東海道沿いに発展した町は、今でもJR東海道本線、新幹線、名鉄名古屋本線、国道1号、高速道路などが走り、交通の要衝の地です。また粕畑貝塚など多くの旧跡もあり、尾張四観音の一つに数えられる笠寺観音では、毎月6の付く日に「六の市」が開かれ、食料や衣料、花などさまざまな露店が境内に並びます。
大磯・笠寺・星崎学区の辺りは、昔は星崎の塩浜といわれ尾張地方屈指の製塩地であって、前浜塩という白い上質の塩を産し、信州地方へ大量に送っていたといわれています。昭和42年に笠寺学区から独立しました。かつての農村地帯も工場が建ち並ぶ町に変わっています。当学区にある喚続神社には1632年8月14日に落石したとされる隕石があります。
南区の東部に位置し、東には天白川、西には笠寺観音や見晴台遺跡があり、市内唯一の笠寺一里塚もあります。土地区画整理事業により急速に宅地化が進み、昭和51年に笠寺学区から独立しました。学区名には笠覆寺(笠寺観音)の名が由来で、その東に位置していることから名付けられました。笠寺福祉会館は地域の福祉・文化活動の拠点として、また、学区を縦断する中井用水緑地は散歩道として親しまれています。
昭和23年に笠寺学区から独立。学区名は地域名の「大江」と「宝生」から一字づつとってつけられ、「大きく伸び栄えるように」との学区民の願いがこめられています。JR笠寺駅西には、わが国有数の屋内スポーツの拠点といえる日本ガイシスポーツプラザ(外部リンク)があり、市内屈指のスポーツ基地となっています。他にも、南保健所、南生涯学習センター、南児童館、南土木事務所などの公共施設が集まっています。
昭和34年に大生学区から独立しました。この辺りは江戸時代に宝生新田・水袋新田・弥次衛新田などの新田として干拓されたところでした。宝生荘・北頭住宅・中割住宅・弥次ヱ荘など住宅団地の多い地域です。伊勢湾台風で大きな被害に遭っています。
宝学区から昭和61年に独立した、南区で一番新しい学区です。伊勢湾台風の犠牲者の霊を慰めるために作られた「くつ塚」があります。神松荘・堤起荘・元塩荘のほか、集合住宅の多い学区です。学区境にある大江川緑地にはサイクリングコースもあり、緑豊かな緑地として市民の憩いの場となっています。
当学区は源兵衛・丹後江・繰出などの新田があったところです。昭和13年に笠寺学区から独立しました。伊勢湾台風で大きな被害に遭い、「母子像」や「愛と力の筏像」「友情の碑」などの記念碑が建てられました。せせらぎ水路は毎年夏に「魚のつかみどり大会」が行われ、子どもたちの歓声がこだまします。
この辺りは丹後江新田、鳴海宿の伝馬助成の目的で築造された鳴海伝馬新田などの新田開発により生まれました。昭和31年に白水学区から独立。その3年後に伊勢湾台風に見舞われ大きな被害に遭いましたが、早くに復興しました。
南区の南西に位置し、北は大江川、南は天白川に面している当学区は、大江・北柴田の新田からなり、畑が多く、うりや綿の産地であるとともに、漁業の基地であったといいます。昭和36年4月に白水学区から独立。学区名は柴田屋新兵衛によって開墾された北柴田新田の名をとってつけられました。伊勢湾台風で甚大な被害に遭い、柴田小学校には慰霊碑が建てられています。
学区 | 面積 | 世帯数 | 総数 | 男 | 女 |
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南区 | 18.46 | 61,032 | 137,671 | 69,789 | 67,882 |
明治 | 0.981 | 5,108 | 10,998 | 5,479 | 5,519 |
伝馬 | 0.658 | 3,348 | 8,105 | 3,945 | 4,160 |
豊田 | 1.189 | 3,492 | 8,579 | 4,239 | 4,340 |
道徳 | 1.035 | 3,932 | 8,898 | 4,491 | 4,407 |
呼続 | 1.052 | 4,559 | 9,642 | 4,896 | 4,746 |
大磯 | 0.859 | 2,486 | 5,914 | 3,009 | 2,905 |
桜 | 0.701 | 2,890 | 6,612 | 3,295 | 3,317 |
菊住 | 0.745 | 3,770 | 8,680 | 4,322 | 4,358 |
春日野 | 0.803 | 3,624 | 8,230 | 4,099 | 4,131 |
笠寺 | 1.868 | 5,267 | 11,997 | 6,096 | 5,901 |
星崎 | 1.993 | 2,452 | 6,017 | 3,138 | 2,879 |
笠東 | 0.739 | 3,123 | 7,342 | 3,837 | 3,505 |
大生 | 1.271 | 1,990 | 4,339 | 2,216 | 2,123 |
宝 | 0.891 | 3,858 | 7,773 | 3,985 | 3,788 |
宝南 | 0.784 | 3,734 | 8,372 | 4,389 | 3,983 |
白水 | 1.105 | 2,805 | 5,999 | 3,065 | 2,934 |
千鳥 | 0.766 | 2,442 | 5,734 | 2,871 | 2,863 |
柴田 | 1.020 | 2,152 | 4,440 | 2,417 | 2,023 |
平成26年3月1日現在の南区の世帯数は61,032世帯で対前月13世帯の増加となりました。
平成26年3月1日現在の南区の人口は137,671人で対前月80人の減少となりました。
推計人口とは、国勢調査結果を基礎とし、毎月の住民基本台帳人口の異動数を加減して推計したものです(平成24年7月中の集計までは、毎月の外国人登録人口の異動数も加減して推計していました。)。
シンボルマーク
『荘子』の「図南鵬翼」(大事業を行おうとする志の意)から、「調和」「団結」「発展」の3本の白線が未来に向け飛翔する姿を、ミナミの「ミ」の形で表しています。
色は、南を表す朱雀と区民の情熱から、真紅でデザインされています。
ひまわり
南区の区の花は「ひまわり」です。昭和63年に、8種類の候補の中から制定されました。
ひまわりの属名のHelianthus(ヘリアンツス)は、「太陽の花」という意味です。太陽のイメージを連想させる南区の花にふさわしい、という理由で選ばれました。
クスノキ
南区の区の木は「クスノキ」です。「南」と「木」を組み合わせると「楠」になることからきています。昭和63年に制定されました。
芳香があり、樟脳を採って薬用とします。区内の神社や寺院に数多く植えられており、村上社のクスノキ(市の天然記念物)をはじめ、名木・古木が随所に見られます。
(関連リンク)
村上社のクスノキ(南区史跡散策路)
南区は、名古屋市の南部に位置しています。面積は約18.46平方キロメートルで、7番目に大きい区です。(平成24年5月1日現在)
笠寺観音
縄文・弥生時代は大部分が海で、「あゆち潟」と呼ばれていました。東部の笠寺台地は古代から開けており、縄文・弥生・古墳時代の遺跡も多く残っています。
土器などの遺物も多数発掘されており、それらの多くは「見晴台考古資料館」に保管・展示されています。
また、旧東海道沿いには、尾張四観音の一つである「笠寺観音」や、市内に唯一現存している「笠寺一里塚」などがあり、南区の歴史を伝えています。
(関連リンク)
南区史跡散策路・暇回散歩道
日本ガイシスポーツプラザ周辺
区の中西部は、江戸時代ごろから新田開発が進み、近代には、鉄鋼・金属・機械・化学などの工場が立ちならぶ市内有数の工場地帯として発展してきました。
区中央部には、JR、名鉄などの公共交通機関や、都市高速、国道1号、名古屋環状線などの幹線道路が走っています。国内有数の規模を誇る「日本ガイシスポーツプラザ(旧名古屋市総合体育館)」では、各種スポーツ競技やコンサート・イベントなどのほか、「南区区民まつり」が開催され、多くの人々が訪れます。
また、区北部には図書館と文化小劇場が併設されており、南区に昔から伝わる貴重な文書の保存など、区民文化向上の一翼を担っています。 区の北東部には地下鉄桜通線が通っており、沿線地域の活性化が期待されるなど、歴史、文化と調和のとれた快適で住みよいまちづくりが進められています。
尾張四観音の一つ。元は小松寺といい、天平年間(729年頃)に僧禅光が開いて十一面観音が安置された。その後荒廃し、延長8年(930年)に藤原兼平がこの地に復興し「笠覆寺」と名付けた。また、嘉禎4年(1238年)僧阿願が再建した。本堂は宝暦13年(1763年)の建造。
当寺には、国の重要文化財「色紙墨書妙法蓮華経巻第五」をはじめとして、県指定文化財の「笠覆寺文書」、「梵鐘」、「木造十一面観音菩薩立像」、「銅造十一面観世音並びに六稜式厨子及び古甕附高力種信筆出現縁起二張」などがある。また境内には、芭蕉句碑(千鳥塚「星崎の闇を見よとや啼千鳥」・春雨塚「笠寺やもらぬ岩屋も春の雨」)、宮本武蔵の碑、織部灯籠、愛智塚、笠寺暁台塚など、多数の史跡や文化財がある。
慶長9年(1604年)徳川幕府が主要街道を整備したとき、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとした。この一里塚は市内に残存する唯一のもので、土を盛った上にエノキが大樹となって残り東海道をしのぶにふさわしい。かつては、一対の塚であった。他の一基はムクノキが植わり、道を隔てた南側に大正時代まで残っていた。
昭和34年9月26日の伊勢湾台風は区内で1,417人の多数の死者を出す大水害であった。2週間後に水が引くと、このあたりのアシの根元や田んぼに取り残された靴が集められ、花と線香が絶えなかった。それ以来「くつ塚」と呼ばれた。翌年「伊勢湾台風殉難者慰霊之碑」が建てられた。
見晴台遺跡は笠寺台地南端に位置し、面積約3ヘクタール、高さ約15メートルの平坦な舌状台地上にある。遺跡からは、縄文から中世までの遺物や遺構が発掘されている。なかでも竪穴住居跡や濠、高坏土器などがあり、質量ともすぐれた遺跡である。また毎年夏に、中学生以上の市民が参加して発掘調査が行われている。
みずほく 瑞穂区 |
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国 |
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地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
団体コード | 23108-8 |
面積 | 11.23km² |
総人口 |
104,981人 (推計人口、2013年12月1日) |
人口密度 | 9,350人/km² |
隣接自治体 隣接行政区 |
名古屋市:熱田区、昭和区、天白区、南区 |
区の木 | サクラ |
区の花 | サクラ |
瑞穂区役所 | |
所在地 |
〒467-8531 愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂通3丁目32番地 北緯35度7分53.1秒東経136度56分5.8秒 ![]() |
外部リンク | 瑞穂区 |
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古くは旧制第八高等学校(名古屋大学の前身校の一つ)、現在では名古屋市立大学をはじめとする高等教育施設を有する文教地区としての顔をもつ。公園の数より学校の数の方が多いと喩えられる位である。
なお「瑞穂」は「みずみずしい稲穂」を表す言葉で、区成立時に日本の美称である「葦原千五百秋瑞穂国」から採ったとされているが、元々は区の中心部にあった村の名称である。なお「瑞穂村」の名前は、1868年(明治元年)に明治天皇が東京遷都のために移動していた際、同地で収穫に励む農民を視察した随行の岩倉具視が、稲穂を献上したという話から来たとも伝えられている。
区の東部は丘陵地となっているが、全体的には比較的平坦な土地である。区を南北に流れる山崎川は桜の名所として名高い。
河川:山崎川、新堀川
瑞穂区に本社を置く企業
※区の南西部に名鉄常滑線が通っているが駅は無い(新堀川の南約100mのみ通る。最寄駅は熱田区の神宮前駅)。また、JR東海道本線も通るが駅は無い(最寄駅はJR熱田駅)。区の中心駅は名鉄堀田駅と地下鉄新瑞橋駅。利用は分散化している。他に区域から徒歩圏内の駅として、名鉄呼続駅(南区)がある。
<南北の道路>
<東西の道路>
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瑞穂区マスコットキャラクター「みずほっぺ」です。みずほっぺは瑞穂区の行事や広報を盛り上げるお手伝いをしていきますので、みなさん覚えてあげてください。
瑞穂区のイニシャル「M」を花びらにアレンジし、中央に区内の名所山崎川の清流を組み合わせ、区の限りない発展・躍進を表したものです。
昭和62年10月制定
サクラ Cherry Blossoms
ばら科
サクラといえば、今日ではソメイヨシノをさすほどです。3月下旬から4月上旬にかけて、淡紅白色の花が枝をおおうように咲きます。
平成元年12月制定
サクラ Cherry Blossoms
ばら科
咲き誇る春の花で親しまれているソメイヨシノですが、秋には紅葉も楽しむことができます。果実は球形で、6月頃紫黒色に熟します。
昭和62年10月制定
区の西部には、工場や事務所が多く、精密工業、近代窯業、金属加工業を中心とした企業が立地し、南北に通る堀田通と瑞穂通の中間地域には古くからの住宅が多く、買物客に便利な商店街と中小工場などの混在地域となっています。
区の中心部を通る瑞穂通以東の丘陵地には、桜の名所として名高い山崎川が流れ、緑豊かで閑静な住宅地となっています。
区の中央には、市内随一の総合運動公園があり、陸上競技場をはじめスポーツの殿堂にふさわしい施設が整っています。
区内には、名古屋市立大学をはじめ教育施設が多く所在し、博物館は当地方の歴史・民俗資料の調査・研究と展示の場として、文化振興の重要な役割を担っています。
地下鉄名城線の環状化に伴い、桜通線と合わせた効率的な交通網が整備され、より明るく住みよい文化的な生活ができる区として、進展が期待されています。
ページの概要:山崎川の魅力をご紹介します。
山崎川といえば、サクラの名所として有名ですが、サクラ以外にもたくさんの見どころがあります。ここではそんな山崎川の魅力を紹介します。
山崎川は、平和公園の猫ケ洞池に源を発し、南西に流下して、名古屋港に注ぐ、延長13.6キロメートル、流域面積約26平方キロメートルの河川で、本山交差点から下流約12.5キロメートルが二級河川に指定されています。昭和63年12月にふるさとの川(可和名橋から出合橋)モデル事業の認可を受け、整備が進められてきました。平成19年2月、瑞穂区分の山崎川散策路(可和名橋から石川橋)の工事が完了し、サクラの木も約630本に増えました。川に近づけるポケットパークや、水飲み場、ベンチも整備され、かなえ橋から石川橋はフットライトも設置されています。
山崎川の桜は、財団法人日本さくらの会から「さくらの名所100選」に認定された、全国的に有名な桜の名所です。石川橋から新瑞橋までの2.8キロメートルの両岸には約600本のソメイヨシノの並木が続き、特に木造で風情のある鼎小橋付近には、美しい花をいっぱい咲かせる老木が数多く残され、川面と相まって見所のひとつになっています。また、田辺公園付近などでは川岸まで降りることができます。桜の花が咲き誇る期間、鼎小橋付近では夜間ライトアップが行われ、投光器が照らし出す夜桜風景は大変美しく一見の価値があります。
場所:かなえ橋から鼎小橋までの100メートル区間
今年の山崎川の桜ライトアップについては、「瑞穂区のさくら」のページをご覧ください。
山崎川散策路(四季の道)は、「季節感あふれる散歩道が欲しい」という皆さんの要望にこたえて、昭和52年に造られました。
として、それぞれ春、夏、秋に咲く花木が植えられています。
春の道(石川橋からかなえ橋)
夏の道(かなえ橋から左右田橋)
秋の道(左右田橋から可和名橋)
今年も、山崎川の桜の見ごろに合わせて、ライトアップを行います。光が照らし出す幻想的な夜桜の姿をお楽しみいただけます。
【山崎川の桜ライトアップ】
期間 平成26年3月28日(金曜日)から平成26年4月6日(日曜日)まで
点灯時間 午後6時30分から9時00分まで(かなえ橋付近の夜桜)
場所 かなえ橋から鼎小橋(かなえこはし)まで約120m(市大薬部西)
アクセス 地下鉄桜通線 瑞穂区役所駅から 汐路桜ロードを徒歩約15分
(公共交通機関をご利用ください。)
山崎川のさくらは大変有名ですが、瑞穂区内には他にもおすすめのさくらがあります。
1つ目の写真は瑞穂運動場東駅1番出口から、弥富公園に向かう道では、通称さくらのトンネルと言われるほどの、さくらのアーチを望むことができます。
また、2つ目の写真は、汐路桜ロードで瑞穂区役所交差点から石川大橋までの区間です。こちらでは山崎川に向かう途中で、さくらのトンネルを見ることができます。
その他にも、以下のようなさくらがあります。
他にも紹介しきれないほど、おしゃれなさくらがあるので、瑞穂区内を散策してみてはいかがでしょうか。
施設概要
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名古屋市瑞穂運動場は、緑豊かな自然に恵まれた瑞穂公園の中にあります。園内には、陸上競技場を始め各種スポーツ施設があり、身近な生活圏における施設として利用される一方、全国的・国際的競技大会の開催が可能な拠点施設としても重要な役割を担っています。また、公園としても、園内を流れる山崎川は桜の名所として知られ、多くの市民に親しまれています。
施設案内
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開館時間・休館日
施設 | 開館時間 | 休館日 | ||
陸上競技場 (第1種公認) |
4月~10月 | 8時30分~20時30分 |
毎月第3月曜日 (祝休日の場合は第4月曜日) 及び年末 |
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11月~3月 | 8時30分~16時30分 | |||
ラグビー場 | 4月~10月 | 8時30分~20時30分 | ||
11月~3月 | 8時30分~16時30分 | |||
ラグビー練習場 | 8時30分~16時30分 | |||
北陸上競技場 (第3種公認) |
個人使用 | 平日・土曜 | 10時00分~20時30分 |
毎週月曜日 (祝休日の場合は開場) 及び年末年始 |
日曜・祝休日 | 10時00分~18時00分 | |||
専用使用 | 8時30分~16時30分 |
毎月第3月曜日 (祝休日の場合は第4月曜日) 及び年末年始 |
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田辺陸上競技場 (多目的広場) |
8時30分~16時30分 | |||
レクリエーション広場 | 8時30~16時30 | |||
野球場 | 4月~10月 | 8時30分~21時30分 | ||
11月~3月 | 8時30分~16時30分 | |||
相撲場 | 8時30分~16時30分 | |||
弓道場 | 平日・土曜 | 9時00分~21時00分 |
毎週月曜日 (祝休日の場合は開場) 及び年末年始 |
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日曜・祝休日 | 9時00分~16時30分 | |||
アーチェリー場 | 平日・土曜 | 9時00分~21時00分 | ||
日曜・祝休日 | 9時00分~16時30分 | |||
テニスコート | 3月~11月 | 8時30分~20時30分 |
毎月第3月曜日 (祝休日の場合は第4月曜日) 及び年末年始 |
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12月~2月 | 8時30分~16時30分 | |||
練習プール |
7月20日 ~8月31日 |
10時00分~17時30分 |
平成24年の営業は終了いたしました。 ご利用まことにありがとうございました。 |
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屋内プール | 平日・土曜 | 10時00分~20時30分 |
毎週月曜日 (祝休日の場合は開場) 及び年末年始 |
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日曜・祝休日 | 10時00分~18時00分 | |||
トレーニング室 | 平日・土曜 | 10時00分~20時30分 | ||
日曜・祝休日 | 10時00分~18時00分 | |||
宿泊研修室 | - |
http://match345.web.fc2.com/nagoya/aratama/
新瑞(名古屋市瑞穂区・南区)
2006年8月18日、2008年1月16日・10月7日撮影
新瑞(あらたま)は名古屋市中心部のやや南東寄りに位置する、新瑞橋(あらたまばし)交差点を中心としたエリアです。新瑞という正式な地名はなく、また交差点名や駅名は「新瑞橋」ですが、地元ではこの地域一帯の通称として「新瑞」と呼ばれているので、このページでもそれに従います。 |
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野嵜裕二税理士事務所 〒457-0001 名古屋市南区平子1-2-2
[代表者]税理士・行政書士・1級FP技能士・CFP・相続名義変更アドバイザー 野嵜 裕二
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所長税理士である私がご訪問します
弁財天 商売、芸能の神
健康7ケ条
1.充分な睡眠
1.禁煙
1.体重の維持
1.深酒しない
1.定期的な運動
1.朝食をとる
1.間食しない
★税理士 ★行政書士
★ファイナンシャル・
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(CFP・1級FP技能士)
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